永井豪と悪魔崇拝
今日は永井豪について調べましたのでそれを書き留めようと思います。
『永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔(ながい きよし)、1945年9月6日 - )は、日本の漫画家。石川県輪島市出身。石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビュー。』(石ノ森章太郎の助手というのがミソです。「石」と「森」、ドルイド教(イルミナティ)ですね。)
昭和の漫画家としてはかなり有名な方ではないでしょうか。
「ゲッターロボ」、「マジンガーZ」、「デビルマン」、「キューティーハニー」…
(ゲッターロボ)
(マジンガーZ)
かなりの作品が多くの方に読まれているかと思います。
今日はその永井豪作品に含まれる悪魔的なものを炙り出してみます。
特に「どギツい」ものを取り上げます。
まずは「デビルマン」。
タイトルからして突っ込みどころ満載ですが(笑)、落ち着いて、一つ一つ吟味していきましょう。
まずこの話を起こしていく前に、「デビル」、または「悪魔(サタン)」がどういった生命体であるのかを知っておかなければいません。
正しい知識を得なければ神様にも、サタンに対しても適切に対応できないからです。
詳しくは以下の有料記事を読んでいただくとして、簡単にいえば
「元々神様に仕えて人間を支えていた天使が堕落して悪魔となった」、ということです。
RAPT | RAPT有料記事12(2015年9月28日)サタンの起源と由来。
RAPT | RAPT有料記事13(2015年9月29日)神様の愛という最高の宝物。
基本的に彼らは神様と人間が離れるように、また人間を誘惑して、聖霊を受けたり、御言葉を聴くのが億劫になるように仕向けてきます。
しかし、生命体の本質として、(信じるか信じないかは別です)神様と人間は通じ合って、愛を成すのが正常です。
従って、その神様と人間が疎通するのを阻害してくる「サタン」はどこまでも悪であり、我々にとって有害でしかない存在と断定できます。
だとすれば、そのような存在を漫画の題材とすること自体がおかしな話です。
ましてや、それをまるで正義の味方でもあるかのように描写するのは、さらに狂っています。狂気です。
自分をどこまでも憎み、命すらも奪い取ろうとしてくるチンピラを、正義の味方だといって褒め称えているようなものです。
そんなことをしていたら、身包み全部をはがされて、場合によっては殺されてしまいます。
ですから、そのように神様に反逆した作品が、庶民の目に触れる文化芸術に混ぜ込まれていること、そしてさも名作であるかのように持て囃されるのは、間違っています。
しかし、日本人はこのような聖書やキリスト教について知識を持たないため、露骨な反キリスト的作品に対して免疫がなくなってしまうのも仕方ないといっていいと思います。(実際私も以前はそうでした。)
そして、このような話を聞いても「そんなバカな」とか「眉唾ものだ」と言いたくなるのも当然でしょう。
しかし、信じられる人、またはそのような体験をしている方はすんなり受け入れられてしまう、というのが実情ではないでしょうか。
事実、私もRAPTブログで「霊界」についての記事を目にしたときに、理解し、納得せざるをえませんでした。
RAPT | 悪魔を倒すためには「霊界」と「地上界」の両方から挟み撃ちにしなければなりません。
RAPT | 悪魔崇拝者を根本的に滅ぼし尽くす方法。それは「霊界」の奥義を知ることから始まります。
RAPT | 「霊界」という奥義について。悪魔崇拝者たちは「霊界」の存在をひたすら我々一般庶民に隠してきました。
以上の前提があるものとして、ここから考察に入ります。
『永井豪が自作品『魔王ダンテ』(「ぼくらマガジン」連載)をベースに「悪魔をヒーローとした作品」として基本設定を行い』
すごいですね。まさにイルミナティの宣伝漫画といえます。「悪魔をヒーロー」とは恐れ入ります。これを感性の鋭い時期、子供のころに読めば、サタンの波長を受けるのは明白でしょう。
それでは順を追って見ていきます。
まずはこの作品の主人公、「不動明」です。
おそらく「不動明王」からとっているのでしょう。
そして「不動明王」は、名前を変えただけの単なるサタンに過ぎません。
自ら神を自称した、霊的な悪魔です。なのでこの不動明王尊に向かって祈りを捧げれば、偶像礼拝、または悪魔崇拝ということになります。
『天照大神(大日孁貴)と同一視もされる』
「密教」そのものが悪魔崇拝であり、「大日如来」も「天照大神」の別名です。
天照も単なる悪魔の別名です。わざわざこんな名前にしているのも、何か理由があるのでしょう。
次にその不動明と合体した存在についてです。
その名も「アモン」。
アモンとはエジプト神話に登場する「アメン神」の別名です。
エジプト信仰もカルト宗教、悪魔崇拝の一種ですし、「アモン」自体もまぎれもないサタンの一人のようです。
以下をご参照ください。
RAPT | 古代ケルトと古代エジプトと古代日本の幾多もの文化的共通点と、日本がドルイド教から誕生したという幾つもの証拠。
RAPT | 世界を密かに支配するドルイド教の歴史。ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。
RAPT | 日本と古代エジプトと悪魔崇拝のつながりが一発で分かる幾つもの物的証拠。
RAPT | 古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。
「不動明王」と「アメン神」が合体した。
確かに一見すると意味不明で滅茶苦茶な話です。しかし、なんのことはありません。
ただ単に悪魔同士がくっついた、というだけです。
それにしても、なぜ異端の宗教の神々は仰仰しい名を名乗りたがるのでしょうか。
書き進める内に、ヤクザやヤンキーが自分を大きく見せるために、高価な服を着たり、刺青を入れるのと同じに思えてきました。
道を歩いているときに、外見が派手ないかつい人がいたら尻込みすることがありますよね。
例えば、神社にいって拝むとき、「天照大神」が祀られていたとしましょう。
RAPT理論と御言葉を知らない状態でそこにいけば、信仰心のある人は、なんだか参らずに帰るのは怖いな、となる可能性があります。
「天照」という字面がなんだか怖いし、無視するのは何か憚られる気がするわけですね。
で、結果的に拝んでしまう、と。
しかし、そこにいるのは神様から愛想を尽かされた堕落した霊です。
別に拝む必要はないですし、むしろ拝めば拝んだ分人生がおかしくなります。
そのような目的があって、いちいち大げさな異名をつけているのではないか、と思いました。
(もちろん、直接「悪魔をこの神社では拝んでいます」とは言及できないということもありますが。)
異端の宗教の悪魔が様々な、また大げさな名前をつけているのはこのような理由もあるのではないでしょうか。
他にも同作品のwikiには大量の関連記事が出てきます。
いちいち取り上げていると霧がありませんので、次にいきます。
上の引用にもありました、「魔王ダンテ」についてです。
実はこの作品は読んだことがありまして、強く印象に残っています。
しかし、それも聖書とRAPT理論を知った後のことです。
なぜなら、この作品も反キリストがふんだんに盛り込まれているからです。
ストーリーを一言で要約すると、
「主人公が魔王ダンテと融合し、「神」に反逆を試みる」といったところです。
しかしその中に様々なキーワードが含まれています。
詳しくストーリーの項を追ってみますと、
『先住人類の街ソドムに、宇宙から「神」と名乗る不定形エネルギー生命体が飛来、』
ご丁寧にも、わざわざ神様から裁かれた街を舞台としています。
「ソドム」とは旧約聖書「創世記」において神様により裁きを受けて滅ぼされた街です。
RAPT | RAPT有料記事42(2016年2月15日) 創世記の謎を解き明かす(2)
そして主人公と合体した魔王ダンテですが、なんと「イスカリオテのユダ」であるとのこと。
『魔王ダンテ(イスカリオテのユダ)
(昭和版)
悪魔達の中で、最大級の肉体と超能力を持つ、文字通りの魔王。かつてはイスカリオテのユダという人間で、イエスのもとから離反して悪魔たちと共に戦った。』
「イスカリオテのユダ」とは、イエス・キリストを裏切った十二使徒の一人です。
まあ間違いとは言えなくもありません。イスカリオテのユダはイエス・キリストをサタンに売り渡した、とも解釈できますし。その人物が魔王(悪魔)と同一視されている、と。
それぐらいの悪事をした、ということです。あるいは、サタンからはそのように功績者として称えられているのかもしれません(真っ平ごめん被りたいことですが。)
さて、ここまで「デビルマン」および「魔王ダンテ」について見てきました。
少しwikipediaで見るだけでも聖書や神様、サタン(正しい知識かどうかは別として)などが作品に登場しているのがわかります。
果たして永井氏は、「偶然」こんな作品を描いたのでしょうか?
私はそうは思えません。
特に登場人物だけでなく、物語までも聖書に反したものであることからすると、こう考えるしかありません。本人にそれを描こうという意思がない限り、こういうものは作れないのではないのか、と思いました。イルミナティからそう指示されたから描いただけではないかもしれない、ということです。
言い換えれば、永井氏は「本気で悪魔を拝み、そのための漫画を描けば富と名誉を得られる」と信じているかもしれない、ということです。
つまり、こういうことです。
最初に、「悪魔を拝めば、富も漫画家としても成功できる」という思想を吹き込む。またはその類の儀式に呼び、実際に悪魔との接触をさせる。
そして実際に「ジャンプ」や「マガジン」などの大手雑誌で漫画家として名をあげる。
その結果、もっとやろう、さらに過激なものを出していこう、となる。
こんな過程をたどって、引くに引けないところまでいってしまうという所でしょうか。
少なくとも、大手出版社はすべてイルミナティの手先です。
そして、聖書とは反対の、もっと言えば神様に反逆した題材を描くことを斡旋している会社があることも、十分ありえます。(電通や博報堂、ADKなどの広告会社はその役割を担っているのかもしれません。)
大方、麻生太郎の「つて」で事業会社同士が密接に連携を取りながら、「デビルマン」のような作品を世に産み落としている、といったことでしょう。
麻生太郎個人も、「漫画」が好きなようですし。
そうやって考えると、世の中の有名人や、芸術がどれだけ「茶番」だらけかどうかよくわかります。
あるいは「マッチポンプ」や「出来レース」といった言葉がふさわしいでしょうか。
自分たちが地獄に落ちるのはまだいいとして、悪魔的な文化を使って、関係ない人々までも「倍も悪い地獄の子」にしてしまうのは、やめていただきたいものです。